大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高松高等裁判所 昭和41年(ネ)253号 判決 1969年9月04日

控訴人

関谷隆一

代理人

木原鉄之助

被控訴人

尾崎アヤメ

外四名

代理人

篠原三郎

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実<省略>

理由

控訴人が本件土地について共有持分五分の一を有すること、被控訴人アヤメが本件建物を所有すること、その余の被控訴人が本件建物のうちそれぞれ控訴人主張の部分に居住してこれを占有していることは、当事者間に争いがない。

そこで、被控訴人アヤメが本件土地について、賃借権を有するかどうかについて検討する。

<証拠>を綜合すると、次のとおり認めることができる。

(一)  本件従前地である松山市湊町四丁目二八番地の二宅地142坪83(472.16平方メートル)はもと関谷守の所有であつたが、同人は昭和七年二月一〇日これを妻である関谷ツ子ヨに贈与し(本件従前地がもと関谷ツ子ヨの所有であつたことは当事者間に争がない)、この土地の上には関谷家の家屋が建つていたが、戦災により焼失した。関谷ツ子ヨは、昭和二一年五月夫の守と死別し、老令でもあつたので(明治一四年八月二〇日生)、昭和二二年頃は本件従前地の管理を長男である関谷紀に一任していた。

(二)  昭和二二年一月か二月ごろ、愛媛県池中養殖特別漁業会が養殖魚の販売所を建てる目的で当時焼跡となつていた本件従前地の一部の賃借方を関谷紀に申入れ、一応その内諾を得たが、間もなく資金上の理由から販売所を建てる計画をとりやめ、同会の職員であつた尾崎芳一において、同年三月ごろ、関谷紀に対し、本件従前地のうち30坪(99.17平方メートル)の上に同被控訴人の妻である被控訴人尾崎アヤメ名義の建物を建築させてもらいたい旨申入れ、関谷紀はこれを承諾して、尾崎アヤメ名義の建築許可申請書(建物の設計図、建築地附近の見取図、新道路との関係を示す建物配置図が添付されていた)の地主欄に捺印した。その際建物敷地として借受けた範囲は、大体において別紙図面(甲)のABCDAを結ぶ土地である(ABCDの各点を正確な地点と認めるに足るほどの証拠はないが、賃借した土地の中に現に建物敷地となつているEFGHEを直線で結んだ土地部分が含まれていたことおよび南北六間(10.91メートル)、東西五間(9.09メートル)として土地を借受けたことは疑いがない)。当時本件従前地は特別都市計画事業の施行地区に入ることが明らかとなつており、幅一五メートルの新道路が南北に通ることが予定されていた(現に本件土地の東側に南北に通ずる広い道路に該当)ので、被控訴人アヤメの建物も右道路予定線に沿い約半間控えて建てることにし、同年四月頃着工し同年七月頃9坪50(31.40平方メートル)の建物を完成した。別紙図面(乙)は現状の見取図であるが、その頃建築した部分は六畳(床、押入を含む)、そのすぐ西側の便所、東側の三畳(サシカケ部分を除く)、玄関(当時は調理場)、その南の四畳半(サシカケ部分を除く。当時は表間)である。なお被控訴人芳一はこの家の庭に池を作つて魚を飼い、漁業会の直売所の看板を掲げていたが間もなくその仕事をやめ、愛媛県池中養殖特別漁業会もその後あまり活動せず、昭和二四年一〇月一三日には解散をした。

(三)  昭和二三年一月本件従前地について仮換地が指定され(この点当事者間に争がない)、被控訴人アヤメの建物の敷地の大部分は現地仮換地となつたが、別紙図面(甲)のABFEAを結ぶ部分(正確にはEFを直線で結んだ線以南の部分)は仮換地外の土地とされ、また同図面のFIJGFを直線で結んだ部分は従前地外の土地であつたが仮換地の中に含ましめられた。そこで、被控訴人アヤメはその頃関谷紀の了承のもとに、右の仮換地に含ましめられた部分の土地をも建物敷地内におさめ、ついで建物の増改築をすることとし、別紙図面(乙)の玄関となつているところが調理場であつたのを玄関にあらため、四畳半の西の三畳、共同炊事場の三畳、その西の三畳、その西の六畳(現在五畳)を増築し、昭和二六年一〇月一五日「松山市湊町四丁目二八番地家屋番号同所六〇番二店舗兼居宅木造瓦葺平家建建坪一六坪四八」として所有権保存登記を経由した(保存登記の点は当事者に争がない)。なお昭和三二年頃にも一部増築して、別紙図面(乙)のとおりの建物とした。また別紙図面(甲)のHGCDの部分(正確にはHGを直線で結んだ線以北)は昭和二二年被控訴人アヤメが建物を建築した直後から実際上使用しないようになり、かえつてこの部分は関谷紀において占有し、後記の本件従前地の分筆、分筆地たる二八番地の三の土地の売買に伴い、第三者の占有に移り、本換地処分により、一番地の一九の土地の一部となつた。

(四)  関谷紀は、被控訴人アヤメが右のように本件従前地の一部に昭和二二年頃建物を建築したこと、昭和二三年の仮換地指定後別紙図面(甲)のEFGHEを直線で結んだ部分のみならずFIJGFを直線で結んだ部分をも建物敷地として使用していることを知りながら、何ら異議をのべず、かえつて、被控訴人アヤメより、昭和二二年から昭和三七年の末まで、土地使用の対価たる趣旨で、金員を受領し、再三その値上を要求した。その額は、最初の昭和二二年は年金一、五〇〇円であつたが、次第に増額され(昭和二八年までの金額は具体的には不明)、昭和二九年、三〇年はそれぞれ年額金七、〇〇〇円、同三一年、同三二年はそれぞれ年金一万一、〇〇〇円、同三三年は金一万二、〇〇〇円、同三四年は金一万四、一〇〇円、同三五年は金一万五、〇〇〇円、同三六年は金一万七、〇〇〇円。昭和三七年は金二万円で、年に二回か三回に分割して支払われるのが例であつた。なお、昭和三七年においては、同年三月三〇日に金七、〇〇〇円、九月五日に金七、〇〇〇円、一二月三一日に金六、〇〇〇円がそれぞれ支払われている。

(五)  昭和三六年一二月二〇日関谷ツ子ヨは本件従前地を、控訴人、関谷紀、関谷勝子、関谷捷紀および関谷英夫の五名に、持分平等で贈与し、昭和三七年一月一三日その旨の所有権移転登記を経由した(この点当事者間に争がない)。関谷勝子は関谷紀の妻であり、その余の共有者は関谷紀の子であつた(この点も当事者間に争がない)ばかりでなく、長男の控訴人は昭和一四年一一月二九日生、二男の関谷捷紀は昭和一七年二月一一日生、三男の関谷英夫は昭和二三年七月五日生で、いずれも若年又は未成年であつたから、本件従前地の管理の一切は関谷紀に委されていた。

(六)  昭和三七年六月一二日本件従前地たる松山市湊町四丁目二八番地の二宅地142坪83(472.16平方メートル)は、二八番地の二宅地50坪02(165.35平方メートル)、同番地の三宅地53坪99(178.47平方メートル)、同番地の四宅地38坪82(128.33平方メートル)の三筆に分割された(この点当事者間に争がない)。本件従前地に対する仮換地の所在位置は別紙第一目録の図面のとおりで(この点当事者間に争がない)その土地がそのまま本換地となることが予想されていたところ、関谷紀は、当時空地となつていたB61の北側約半分(すなわち被控訴人アヤメの占有していない部分)に相当すべき従前地を他に売却(従前地の売買と共に当該仮換地部分の使用収益権の譲渡の合意を含むと解される)することとし、その都合上、本件従前地を、B61の北側約半分に相当する部分、南側約半分(被控訴人アヤメが建物敷地として使用)に相当する部分およびB60に相当する部分、の三筆に分筆することにしたものである。実測したところ、B60の部分は28坪519(94.24平方メートル強)、B61の北側半分は39坪6622(131.10平方メートル強)で(被控訴人アヤメの占有部分は実測しなかつたけれども、判明していたB61の地積七六坪四〇より右の面積を控除し、三六坪七四弱と認めた)、仮換地全体の公簿面積に対する減歩率は約二割六分五厘五毛であつたので、右の各実測地積を七割三分四厘五毛で除した面積(結局実測地積に減歩割合の面積を加算することを意味する)により分割を申請することとし、B61の南側約半分に相当する部分として、二八番地の二宅地五〇坪〇二、その北側約半分に相当する部分として同番地の三宅地五三坪九九、B60に相当する部分として同番地の四宅地三八坪八二として分筆登記を申請し、申請どおりの地番と地積で分筆せられたものである。そして、関谷紀は、昭和三七年暮頃、右の二八番地の三の土地を岡部綾太郎に売渡し(関谷紀以外の共有者の持分は関谷紀において代理して売渡)、右岡部は間もなくその土地を竹原ルリ子(実質上の買主は安藤明)に売渡し、昭和三八年一月二一日中間省略により、竹原ルリ子名義に所有権移転登記が経由された(なお二八番地の三の売渡と共に仮換地の一部たるB61の北側約半分は関谷紀の占有を離れ、買主によつて使用収益された)。

(七)  昭和三九年四月三〇日換地処分がなされ、同年六月一〇日公告され、二八番地の二宅地50坪02(165.35平方メートル)は一番地一七宅地36坪74(121.45平方メートル)、すなわち本件土地となつた(換地処分、公告の各日時を除いて当事者間に争がない)。同時に、二八番地の三宅地53坪99(178.47平方メートル)は一番地一九宅地39坪66(131.10平方メートル)となり、二八番地の四宅地38坪82(128.33平方メートル)は七番地一宅地28坪52(94.28平方メートル)となつた。

以上のとおり認めることができる。<証拠判断省略>

右に認定の事実関係によれば、関谷紀は、昭和二二年三月ごろ、関谷ツ子ヨの代理人として、被控訴人アヤメに対し、従前地の一部30坪(99.17平方メートル)を建物所有の目的で、期限の定めなく賃貸したものと認めるのが相当である。そして、本件従前地に対する換地予定地が指定された後換地処分が終了するまで、被控訴人アヤメが土地区画整理事業施行者たる松山市長に対し、賃借権の届出をしなかつたことは当事者間に争がない(なお賃借権の登記がないことは弁論の全趣旨上明らかである)。ところで、控訴人が主張するように、施行者に権利の届出をして賃借権の目的となるべき部分の指定を受けない限り、賃借人は仮換地につき現実に使用収益することができないのであるが、右にいう仮換地につき現実に使用収益することができないとは、施行者において賃借権がないものとして取扱つて土地区画整理事業を施行しうることおよび賃借人において当然には仮換地につき使用収益権を行使することができないことを意味するにとどまり、賃借権そのものが実体上消滅することを意味するものではない。そして仮換地の使用収益権能を他人に使用収益させる旨の債権契約を締結することは許さるべきであるから、賃借人が賃貸人と協議し、仮換地上で使用収益をなし得る範囲につき特別の合意をすることは、何ら妨げのないところであり、その合意が成立している場合においては、賃借人の仮換地の使用収益は違法でないといわなければならない。これを本件についてみるに、関谷紀は、従前地が関谷ツ子ヨの所有であつた当時は同女の代理人として、従前地が五名の者の共有になつた後は、自己の持分に関しては本人として他の者の持分に関しては代理人として、被控訴人アヤメに対し、仮換地の一部につき、従前地の賃貸借と同様の使用収益をすることを承諾したものといわなければならない。そして、その使用収益を認めた範囲は、前認定のような経緯により別紙図面(甲)のEIJHEを直線で結んだ範囲に帰着したものと認められる。そうであるから、被控訴人アヤメが換地予定地指定後その一部に本件建物を所有していたことは何ら違法でなく、控訴人その他従前地の共有者としては、建物収去、土地明渡を求める権利を有しなかつたことは明白である。

しかるところ、前認定のように、換地処分の終了により、被控訴人アヤメの占有していた土地部分は、仮換地でなくなり、本換地となつた。従つて、被控訴人の土地占有権原について、あらためて検討を要することとなる。

ところで、従前地の一部に存した賃借権が換地処分により消滅しないかどうか、消滅しないとしてその土地範囲を裁判所が換地上で確認しうるかどうかの点はしばらく措き、本件の場合、前認定の事実関係によると、関谷紀は、本件従前地について都市計画事業が施行されることを知りながらその一部を賃貸し、換地予定地指定後は従前地に含まれなかつた仮換地部分まで建物敷地として使用を承認し、逐年増額した対価を受領して十数年に及んでいるばかりでなく、昭和三七年の分筆によつて、被控訴人アヤメが占有する土地範囲に対しては二八番地の二宅地50坪02(165.35平方メートル)なる土地が照応することならびに将来本換地の際は右の二八番地の二の土地に対して一筆の土地が換地として指定さるべく、右一筆の土地の位置、面積は被控訴人アヤメが現に建物敷地として占有している範囲そのままであることを認識しながら、なお対価を受領したものであり、しかも昭和三七年度における受領額は前年度よりも多いのである。これらの点より考えると、本件の場合は、当事者間において、仮換地中の特定部分がそのまま本換地になることを条件として、その特定部分をそのまま賃貸する旨の合意が成立していたものと認めるのが相当である。

そうだとすると、被控訴人アヤメは本件土地について賃借権を有するから、その占有は違法ではない。控訴人は、被控訴人アヤメが本件建物についてなした保存登記は、別の地番を表示しているから、建物保護法の適用を受けない旨主張するが、控訴人らは、関谷紀を代理人として、被控訴人アヤメに対し、本件土地を賃貸することを承諾したことになるから、建物の保存登記の問題にかかわりなく、被控訴人アヤメの土地賃借権を否認することは許されない。そうすると、控訴人の被控訴人アヤメに対する建物収去、土地明渡の請求は失当であり、その余の点について判断するまでもなく、棄却を免れない。

また<証拠>によると、被控訴人アヤメ以外の被控訴人らは、被控訴人アヤメより本件建物の各一部の貸与を受けてそれぞれ居住し、もつて本件建物の一部を占有している者であることを認めることができ、右認定に反する証拠はない。そして、控訴人の被控訴人アヤメに対する建物収去土地明渡の請求が容れられない以上、右被控訴人らに対する建物退去土地明渡の請求も理由がないことは明白である。

以上の次第であるから、原判決は結論において相当であり、本件控訴は理由がない。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用の上、主文のとおり判決する

(橘益行 今中道信 藤原弘道)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例